おはようございます。
九州は北九州地域といえばなんといっても日本の産業革命期に産業の中心になった存在。小中学校の歴史の教科書でも「官営八幡製鉄所」を筆頭にこの北九州エリアが石炭の有数な発掘地として発展していったのは載っているはずです。そんな、北九州エリアも今は衰退の一途をたどっている状態ですが、その歴史の遺構はまだまだ多く残っています。
そしてこのエリアにひしめく多くの鉄道路線も元々は石炭などを輸送するために発展したものでした。ということで平成筑豊鉄道の全線走破旅第2回ということで、今回は直方からスタートしていこうと思います。今回注目していきたいのは、なんといっても平成筑豊鉄道の駅名。この路線かなり変わった名前の駅名が多いのに加えて、平成筑豊鉄道が全線で命名権を公募したことにより、駅名に会社名など副駅名のようなものもついてそのへんてこりん具合は倍増しています。今回はそんな駅名に着目していきながら一気に終点の行橋まで行きましょう!
とはいえ、まず直方を出発してまず気になるのは線路の多さ。この伊田線は全線が複線化されており、直方から先しばらくはJRの筑豊本線(福北ゆたか線)が並行して走っていることから複々線のような形で線路が続いていきます。今ではここまで需要があるのかと思ってしまうのが正直なところですが、昔はこの地域の鉄道輸送が非常に需要だったことを示しているように感じますね。
そんなな中で直方の次の駅名は「南直方御殿口」、何ともたいそう立派な駅名ですね。どうやら21世紀になってから新設された比較的新しい駅らしいです。そして、この南直方御殿口の次は「あかぢ駅」。ここも「じ」ではなく「ぢ」を使ってるのがポイント。どうやら「赤字」を連想させてしまうために「ぢ」に変えたんだとか。
個人的に一番印象的だったのは「ふれあい生力駅」、そもそもの駅名もなんとも明るそうで「生力」の読み方も「しょうりき」というのが面白いところです。が、それよりもこの駅のスポンサーが「生力ユーカリ園」という福祉施設の会社。これが組み合わさって「生力ユーカリ園 ふれあい生力」という駅名になっています。何となく山万ユーカリが丘線を彷彿とさせますね。
さて、田川伊田から先は伊田線から田川線に変わります。ここからが変わった駅名のオンパレードです。まずは「源じいの森」、なんかジブリ作品に出てきそうな駅名です。駅名の由来も想像しにくいですよね。続いてが犀川駅から1つ行橋川に進んだ駅である「東犀川三四郎」、東犀川ならまだしも三四郎をわざわざつける必要があったのかと思うぐらいですね。続いてが今川河童駅、駅の前に河童の銅像もしっかり立ってたり。なんか河童由来のことでもあるのでしょうか。
そして、最後は「令和コスタ行橋」、平成改元後初めて「平成」と名乗った会社が「令和」に改元してすぐに「令和」を冠する駅名をつけることになりました。平成筑豊鉄道で行く令和コスタ行橋駅というのが何とも面白い組み合わせですね。駅前には商業施設が広がっており、その最寄り駅として開業したそうですが、豪雨による被害で開業が先延ばしになったがゆえに令和生まれの駅になったそうで。この会社の持ってる運命を感じますね。
さて、途中下車もしながらも終点の行橋駅に到着。全く違うホームにつくのかと思いきや日豊本線と同じ高架ホームの一番端っこに到着。もともと国鉄ゆかりの路線だっただけに現在のJRとの接続はやはりいいものですね。さて、終着駅までやってきたわけですが、やはり北九州の歴史を見る上で重要なポイントを回ってきたのでその観光を今回のシリーズの最後にしようと思います。では次回もお楽しみに~!