おはようございます。
約2年前の旅の模様をお届けする続きです。私はまだ人生で2度ほどしか東北に行っておらず、1回目が4年ほど前に震災で被害を受けた地域を親戚とともに回って震災を経験された方から話を聞きました。
↓前回の記事です。今回はこの記事の続きとなります。ぜひこちらの記事もご覧ください。
そして今回が2度目。今回は東北といえるほど北まで入っていないのですが福島から新潟、そして群馬県をめぐるルートをたどりました。
猪苗代湖から見える磐梯山に思いをはせながら時間も近づいてきたので駅に戻ります。すっかり日も暮れてきて時刻は18時半前。やはり猪苗代湖の印象は大変強かったですね。今でも思い出します。
猪苗代駅から磐越西線に乗車し会津若松へ向かいます。本日の目的地はその会津若松です。
今更なんですが郡山から猪苗代まで乗車したのが719系でした。どうやら719系0番台は今年のダイヤ改正で完全に運用を撤退し、E721系に置き換わタそうですね。なんでよりによって719系の写真がないんだという感じなんですよね…
ちなみに猪苗代からはE721系でした。猪苗代までは快速でしたが、ここからは普通列車。会津若松までは山間部を走るので特に日が暮れた時間なんかは車窓から見える光が非常に少なかったことを覚えています。
1日目の夜は会津若松で地酒と馬刺しをいただきました。この当時は地酒を飲み比べるということにあこがれてましたからね笑
もちろんお土産にも日本酒を買ったのですが、現地で飲んだものは格別においしかったです。馬刺しも人生で初めてだったのですが、おいしかったです。
会津は日本酒処でもあるのでお酒好きは飲み比べとかするのも楽しみ方の1つですね。ただお店探しは少々苦労しましたが…笑
さてこの日は駅の横にあるホテルに泊まったのですが、このホテル1泊で6000円かからない程度だったので非常に安く、そして朝食もついていました。去年の豊岡で泊まったホテルもそうでしたが、貧乏大学生にとっては貴重な宿です。
2日目の朝は磐越西線で新潟方面へ向かうことにしていたのですが、電車の時間が少々遅めだったのでその前に鶴ヶ城とも呼ばれる若松城へ。「鶴ヶ城」や「会津若松城」と呼ばれることが多いですが正式名称は「会津城」だそうです。
会津の地といえばやはり白虎隊ですよね。今から5,6年前に放送された大河ドラマはまさにここが舞台で大きな観光PRができたそうです。
9時ごろだったと思いますが、電車の時間まで散歩していくことに。会津若松駅からは少々時間がかかりますが歩いていけない距離ではないです。なお現在の天守閣は戦後に復元されたもので、中は歴史の博物館となっているようです。
日本史は好きですが白虎隊についてはほとんど知識がなく、散歩程度の訪問になってしまったので次行くときはしっかり勉強してから行きたいですね。歴史を感じながら観光するととても面白いので。
会津若松駅から引き続き磐越西線に乗車します。磐越西線は郡山から会津若松を通り過ぎて新潟方面へと続きますが、この会津若松でスイッチバックする形になります。
また日本の中でも有名なローカル線の1つ只見線や会津鉄道も乗り入れており、会津鉄道の方は乗り継いで行くと東武伊勢崎線につながりそのまま浅草方面へと向かえます。
会津若松から乗車した車両はキハ40。この車両は先日只見線で引退した編成が小湊鉄道への譲渡のため回送されたときに撮り鉄が集まりすぎたと話題になった車両でもあります。この当時は只見線のキハ40が磐越西線でも使用されていたようです。
下車したのは喜多方ですが磐越西線はここまで電化されており、一部の電車が郡山から喜多方まで乗り入れます。会津若松でのスイッチバックが発生しますけど。
喜多方といえばやはり「喜多方ラーメン」でしょう。駅には駅に近いラーメン屋を紹介したパンフレットが何種類もありましたが、その数は非常に多かったです。訪れた時間がかなり11時ごろとお昼時にしてはかなり早かったのですが、まあまあの観光客がいました。
いただいたのはチャーシューがいっぱい乗ったラーメン。さっぱりとした味で食べやすかったです。小さいお店で店主とそのご家族で営んでいるようでした。そういうお店もしっかりパンフレットに掲載されていて、お店選びは大変かもしれませんが楽しいと思いますよ。
ということで喜多方から磐越西線の快速列車に乗車していくところで今回はここまでとします。まあ過去の旅の写真を漁っているので懐かしいものも多いですね。ブログを再開する前ですのでもっとブログ向けの写真も撮れてたらって感じですけど笑
ではまた次回へ。お楽しみに~
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